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寂光院

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寂光院

所在地 愛知県犬山市大字継鹿尾字杉ノ段121
山号  継鹿尾山(つがおざん)
宗派  真言宗智山派
本尊  千手観音(秘仏)、大随求菩薩
創建年 白雉5年(654年)
開基  道昭、孝徳天皇(勅願)
正式名 継鹿尾山 八葉蓮台寺 寂光院
別称  継鹿尾観音、もみじでら
札所等
尾張西国三十三観音33番
尾張三十三観音20番
東海百観音霊場20番
東海三十六不動尊2番

尾張三弘法


文化財

本堂・随求堂・弁天堂・薬医門(国の登録有形文化財

寂光院(じゃっこういん)は、愛知県犬山市にある真言宗智山派の寺院。山号は継鹿尾山(つがおざん)。継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院(つがおざんはちようれんだいじじゃっこういん)と号する。通称継鹿尾観音(つがおかんのん)。紅葉で有名なことから「もみじでら」ともよばれる。 本尊は千手観音、随求堂の本尊は大随求菩薩である。

 

歴史 

寺伝によると、白雉5年(654年)に孝徳天皇の勅願により南都元興寺の道昭和尚の手によって建立、支院18、寺領500石を有する盛大な寺であった。永禄8年(1565年)には織田信長が参詣の折り、清州城の鬼門鎮護の霊刹として黒印50石、山林50町歩を寄進。江戸時代も寺領を持ち続けた。現在は寺域33万㎡(10万坪)を有する。参道は全て東海自然歩道。境内全域は飛騨木曽川国定公園

札所 編集

尾張西国三十三観音霊場第三十三札所(満願霊場
尾張三十三観音霊場第二十番札所
東海百観音霊場第二十番札所
東海三十六不動尊霊場第二番札所
尾張三弘法霊場
七福神特別霊場


境内 

本堂 本尊:千手観世音菩薩秘仏
現在の本堂は明治12年(1879年)、12代当主の時代に再建された。桁行5間、梁間5間、寄棟造、正面1間向拝付、桟瓦葺で、4周に切目縁を廻す。前2間分を吹放しで小組格天井の外陣とし、後方の内陣には禅宗須弥壇を構え、厨子を置く。軸部は円柱で、組物は出組とする。装飾を押さえた伝統的形式になる本格的な仏堂建築。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録されている。本尊の千手観音は秘仏で60年に一度の甲子年に限って開帳される。最近では大正15年(1926年)、昭和59年(1984年)に開帳があり、例外として「平成大修理」落慶記念で平成22年(2010年)にも開帳されている。秘仏千手観音厨子の「お前立ち」の像は南北朝時代の作とされている。


随求堂 本尊:大随求菩薩(秘仏
文化2年銘の擬宝珠、内部柱に天保年間の墨書があることなどから、文化2年の建築と思われる。本堂西に東面して建ち、渡廊下で結ばれる。桁行5間、梁間3間、一軒、入母屋造、桟瓦葺で、4周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。軸部は角柱で床下部を高くつくり、縁を絵様付持送り板で受ける。側廻りに蔀戸を多用した住宅風の外観は籠堂の性質を示している。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録されている。


弁天堂
本堂北方の高所にある。弁天像台座裏に文政3年(1820年)の墨書銘があるので同時期の建築と考えられる。ほぼ正六角形の平面をもつ小堂で、前半を吹放しで板床張の見世棚風とし、中央境に格子戸を設け、後方を板壁で囲った内陣とする。柱や屋根を六角形につくり、天井の棹や垂木は放射状に配る。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録されている。


薬医門
山門は継鹿尾(つがお)山麓の西側に位置し、庫裏(くり)の正門である。棟札により、天保7年(1836年)に尾張藩御大工の竹中泉正敏により建築されたことが分かる。一間一戸薬医門(やくいもん)で左右に袖塀(そでべい)、潜戸一戸付、二軒繁垂木、切妻屋根、桟瓦葺である。男梁(おばり)を本柱上の冠木(かぶき)から控柱まで架け渡し、両端に出三斗組(でみつとぐみ)、中央に平三斗組(ひらみつとぐみ)を配して、虹梁(こうりょう)を支持し、大瓶束大斗実肘木(たいへいづかだいとさねひじき)で化粧棟木(けしょうむなぎ)を支え、牡丹の笈形(おいがた)を付ける。扉は八双金物(はっそうかなもの)、乳金物(ちかなもの)、菱形鋲(ひしがたびょう)を打ち、冠木上中央に群猿の彫刻を置き、女梁(めばり)、男梁(おばり)は絵様木鼻付き、背面側虹梁上には龍の彫刻を配する。屋根は現在桟瓦を載せているが、当初は本瓦葺きであった。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録されている。

 

文化財 

千手観音二十八部衆
道昭和尚画像
織田信長画像
継鹿尾山図(以上犬山市指定文化財
本堂・随求堂・弁天堂・薬医門(国の登録有形文化財

鳳来寺

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鳳来寺

所在地 愛知県新城市門谷字鳳来寺1
山号  煙巌山
宗派  真言宗五智教団
本尊  薬師如来
創建年 伝・大宝2年(702年)
開基  伝・利修
札所等 三河国四国八十八箇所7番
文化財 仁王門(重要文化財

    鳳来寺山(天然記念物、名勝)
 
鳳来寺は険しい山中にある。(2005年9月)
鳳来寺(ほうらいじ)は、愛知県新城市鳳来寺山の山頂付近にある真言宗五智教団の寺院。本尊は開山の利修作とされる薬師如来

参道の石段の数が1,425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財である。また、愛知県の県鳥であるコノハズク(仏法僧)の寺としても有名である。

 
歴史
開創伝承
寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山したと伝える。利修は霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩十二神将、四天王を彫刻したとも伝わる。文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっている。利修の17日間の加持祈祷が功を奏したか、天皇は快癒。この功によって伽藍が建立されたという。

中世・近世
鎌倉時代には源頼朝によって再興されたと伝える。当時、寺内に在った多くの僧坊の1つ、医王院において、平治の乱で落ち延びてきた頼朝が匿われたのが一因という。ただし、3年も匿われたという点で疑問も残る。

戦国時代には、近郊の菅沼氏から寺領の寄進を受けた。だが、豊臣秀吉の治世では300石のみを許されただけで、他は悉く没収された。

江戸時代に入ると幕府の庇護を受け、850石に増領される。さらに家光の治世で大いに栄えた。徳川家康の生母・於大の方が当山に参籠し、家康を授けられたという伝説を知った家光が大号令を発したためである。それにより、当山諸僧坊の伽藍が改築されただけでなく、家康を祀る東照宮が新たに造営され、慶安4年(1651年)に完成をみたのである(東照宮などに限る)。最終的には、東照宮の運営領を含む1,350石が新たに寺領となった。

なお、家綱将軍の治世になっても諸僧坊の増築は続いており、延宝年間(1673年~81年)に存在した僧坊は以下の通り。

天台宗
松高院、岩本院、等覚院、不動院、観性院(のちの増道院)、般若院、寿命院、吉祥坊、杉本坊、円蔵坊、円龍坊
真言宗
医王院、藤本院、法華院、円琳院、日輪院、一乗院、月蔵院、尊教坊、中谷坊、善智坊(のちの長順坊)
東海道御油宿から延びる街道は鳳来寺道と呼ばれるなど、秋葉山本宮秋葉神社と並んで、この地方では数多くの参詣者を集めた。

東海道名所図会には、煙厳山鳳来寺勝岳院(神祖宮 鎮守三社権現 六所護法神 開基利修仙人堂 常行堂三層塔 鏡堂 八幡宮 伊勢両太神宮 弁才天祠 天神祠 毘沙門堂 一王子 二王子 荒神弘法大師堂 元三大師堂 鐘楼 楼門 名号題目石 八王子祠 妙法滝 奥院 六本杉 煙厳山 勝岳院 瑠璃山 隠院 高座石 巫女石 尼行堂 行者帰 猿橋篠谷山伏堂 馬背 牛鼻)と、詳細な記載がある。

近代
明治に入るまで、東照宮の祭事を社僧や別当が行っていたため、新たに祠官が派遣された。ここに寺院と東照宮が分離される。これは、寺社領没収の煽りを受けていた当山には大打撃で、東照宮が命脈を保つ一方で、寺院・鳳来寺の衰勢は著しかった。

困窮の窮みにあった明治38年(1905年)には、高野山金剛峯寺の特命を受けた京都法輪寺から派遣された服部賢成住職に当山の再建は託された。そこで、翌39年(1906年)11月2日、並存していた天台・真言の両宗派は真言宗に統一されて高野山の所属となり、寺院規模の縮小で存続が図られた。他にも賢成住職の奔走による旧寺領の復権活動が実り、有償ながら国有林の譲渡が実現された。

窮乏に喘いでいながらも譲渡資金は何とか捻出され、余剰金を残すことができた。この時、傷みの激しい堂宇の改築費用に充てることも考えられたが、賢成住職は地域住民に還元することを決断。鳳来寺鉄道、田口鉄道の敷設資金、鳳来寺女子学園の設立資金に使われた。

大正3年(1914年)に本堂を焼失したが、昭和49年(1974年)に再建された。なお、明治初期まで存在した諸僧坊も度重なる火災と明治以降の窮乏で廃絶となり、今では松高院と医王院のわずか2院の堂宇のみが現存する(松高院には山門あり)。廃絶の諸僧坊跡地には石碑が立てられている。


文化財
仁王門
重要文化財(国指定)
仁王門 - 三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺き。慶安4年(1651年)建立。昭和28年11月14日重要文化財指定[3]
新城市指定文化財
仁王像


交通アクセス
JR東海飯田線湯谷温泉駅から車で20分
豊鉄バス (田口新城線)「鳳来寺」または「鳳来寺山頂」(「鳳来寺山頂」ゆきのバスは11月の土日祝のみ運行)下車
かつて、豊橋鉄道田口線(1968年廃線)に鳳来寺駅があった